64年前、青森県青森市がB29によって空襲を受けた日です。
7月28日21時15分。
青森県地区警戒警報発令。それから間もない22時10分空襲警報発令。この頃、前進基地の硫黄島を離陸したB29は、仙台湾から男鹿半島へ抜け、鰺ヶ沢町附近から青森市に向った。 そして暗闇に包まれた青森市に現れた62機(内1機は投下失敗)のB29は、照明弾で市内を照らしたのち、22時37分、焼夷弾の投下を始め、23時48分まで続いた。M74六角焼夷弾38本を束ねた2186発のE48焼夷集束弾が投下され、83000本もの焼夷弾が降り注いだ。青森市立橋本小学校付近に居た人たちは一気に浦町駅(現在の平和公園)の方向へ逃げていった。
B29は爆撃が終わると、基地のあるテニアン島へと帰っていった。7月29日0時22分空襲警報解除。
死傷者1767名。焼失家屋18045戸(市街地の88%)。罹災者70166名。(諸説有り)
M74焼夷弾は、従来型に黄燐を入れ威力を高めた新型焼夷弾で、青森市がその実験場となった(米国戦略爆撃調査団は「M74は青森のような可燃性の都市に使用された場合有効な兵器である」と結論している。)。また、バケツリレーや手造りの防空壕は全く役に立たず、防空壕での死者も多かった
上記wiki調べ
悲しいです。
戦争、うちのおじいさんも終戦まじかに中国の方へ行ったみたいです。
その話はしたがらないな・・・
日本だけじゃない、平和な世界を願いたいです。