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木村拓コーチ父に語った大きな夢「監督になりたい」
  くも膜下出血で倒れ、7日に37歳の若さで死去した巨人の木村拓也内野守備走塁コーチ。19年間の現役生活では“スーパーサブ”として脇役に徹したが、ひそかに抱いていた大きな夢があった。

7日の阪神戦(甲子園)前、ユニホームに喪章をつけた巨人ナインと原監督、コーチ陣は木村拓コーチが現役時代に主に守った二塁手の定位置付近で円陣を組み、黙とう。試合では3回、甲子園で初本塁打を放った小笠原が「タクさんが力を貸してくれたと思う」としみじみと話した。

そんな人望厚い木村拓コーチが倒れた翌日の今月3日から2日間、巨人がキャンプを張る宮崎市の県総合運動公園内で、大規模なソフトボール大会が開かれた。「木村拓也・ビータスヒーローズクラブ旗争奪大会」。木村拓コーチの名前を冠するようになって5回目。故郷の宮崎県田野町(現在は宮崎市に合併)の町議を長年務めた父・茂夫さんが大会会長である。

毎年、木村拓コーチがサインボール、サイン色紙などを賞品として提供。今年の最優秀選手賞の賞品は、新たな背番号「84」が書き込まれたサイン入りバットだった。大会副会長の宮脇晴光さん(61)は、「名前を冠し、賞品を提供していただいたことは、子供たちにとって大きな励みでした。お父さんの意向次第ですが、来年以降もずっと拓也さんの名前を残したい」と話す。さらに、こんなエピソードも明かしてくれた。「拓也さんはお父さんらに『1度は監督をやってみたい』と語っていたそうです。私個人としては、巨人のコーチとして修行し、いつか(約11年半在籍した)広島の監督になってほしかった。真面目で人望もあり、可能性は十分あったと思う」


夢だった監督

叶わなかったですね・・・
by sportsiroiro | 2010-04-08 21:11 | スポーツ
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by やん
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